ごあいさつ
こんにちは!院長の塩山です。
多数ある院の中から当院のホームページに訪問して頂きありがとうございます。
私、自身について簡単に紹介して行きます!
私は1972年に横浜市に生まれました。
都会だね!?と良く言われましたが、山も川も池も田んぼも、畑も少し行けば海もある横浜の田舎で育ちました。子供の頃は元気が良すぎて、キズのたえない子でした。
中学、高校では、陸上部に所属して日々、汗をかきながら走りまくっていました。主な種目はハードルをしていました。
高校2年生の時にハードルで転んでしまい右足を骨折してしまいました。それがキッカケでその後、引退までタイムが伸びず苦しみました。
(それが原因で体のバランスが崩れていたみたいです。後々、大きなケガの原因に)(T_T)
高校を卒業してから、大手スーパーに就職して十数年間、精肉部門で働きました。自分で言うのも何ですが、お肉を切らせたらピカイチです!
その後、スーパーを辞めて「日本カイロプラクティックドクター専門学院 横浜校」に入学し、学校直営のカイロプラクティック院に就職、副院長、院長を経て、2014年3月に「開成カイロプラクティック SIO(シオ)」を開院しました。
みなさまに愛される院を目指しています!
何でこの仕事につこうと思ったのか?
歳が30代になった頃、突然事件が起こりました。
休みの日に重い荷物を持った瞬間に腰が「ギクッ」となって、その場にうずくまってしまいました。腰をハンマーで殴られたような激痛がはしりました。でもすぐにおさまったので安心しました。
でも、悲劇は次の日から始まりました。
朝、起きようと思っても激痛で布団から起きられない、休んでいても一向に良くならないので会社を休み、激痛に耐えて冷や汗をかきながら病院に行きました。
病院で注射を打ってもらって何とか激痛はおさまりました。診断は、腰椎椎間板ヘルニアと言われました。
それから、コルセットははずせなくなりました。整形外科にリハビリに通いました。でもちょっと良くなって、物凄く痛くなっての繰り返しでした。
2回目の激痛が来たのは、その半年後、右足にシビレも出てきてひどくなる一方でした。
少しまた良くなって、3回目に激痛の時は接骨院に行ったり、他の整形外科に行ったりしましたが良くなりませんでした。それで人から噂を聞いたり、自分で調べたりしてカイロプラクティックを受けました。
通っているうちに痛みは軽減して来て、3ヶ月後には右足のシビレが完全になくなりました。半年後には、コルセットも取っても大丈夫なぐらいに改善しました。
本当に良かったですし、その時に施術してくれた先生には「感謝」です。
このことが、大きなキッカケになって「自分みたいに腰痛や痛みで苦しんでいる人を助けたい」と思ってこの仕事を始めました。
施術に対しての思い
一番の思いは「苦しんでいる人を助けたい」「少しでも楽にしてあげたい」「笑顔で生活出来るようになってほしい」と思って施術をしています。
ハッキリ言って、難しい症状のお客様は改善までに時間がかかってしまうことがあります。
お客様があきらめない限り私もあきらめません。
でも、私を信じてくれた多くの方は症状の改善、軽減をしています。
もちろん少しでも早く改善するように、日々、勉強やセミナーに出席して技術の向上に努めています。
痛みが改善してお客様が笑顔になると、私もとても嬉しくなります。
不快な症状が早くとれるように、一緒にがんばりましょう!
「開成カイロプラクティック SIO」の目的
当院は、カイロプラクティック・整体を通じて「世界中のみんながいつもニコニコと笑顔があふれる世界」を実現するこを目的に設立いたしました。
「開成カイロプラクティック SIO の誓い」
一つ、お客様のより良い健康と幸せのために奉仕いたします。
一つ、まごころを込めて「ありがとう」と言っていただける施術を目指します。
一つ、常に勉学や研究に励み日々、努力いたします。
一つ、地域全体、日本中、世界中の人々が「笑顔」と「健康」と「平和」になれるように貢献していきます。
お問い合わせをお待ちしております。
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